創業者 岩崎清七のプロフィール
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岩崎清七(1864~1946) | 明治32年書 |
1864年
栃木県下都賀郡藤岡町に生まれる。
1872年
廣才館(後の甲校)開設に伴い入学。
卒業後、家業見習いの傍ら漢学者森鴎村の家塾に入門。
1879年
片山管太郎(後の潜)を慕い、蒸気船「海運丸」に乗船し東京へ。
1880年
片山と共に海軍予備学校長・近藤先生の私塾(後の攻玉社)へ転ずる。
1883年
福澤諭吉の紹介で留学生として渡米/横浜→サンフランシスコ。
ニューヨークに向かい、Dr.ヨハンソン/前東大教師の世話になる。
1884年
コーネル大学(化学)入学。
1885年
高橋新吉(ニューヨーク領事)に相談しイエール大学法学部に入学。
1889年
法学士と会計・経理修士号を取得し卒業。 帰国。
澁澤栄一(第一国立銀行頭取)の勧誘を辞して家業を継ぎ、岩崎清七商店を創業。
1894年
日清戦争時、軍馬飼糧大麦三万石を落札。
1907年
磐城セメント設立発起人(設立総会会長から第二代社長)。
日清紡績、日本製粉(後に社長)、東京瓦斯(後に社長)の経営に参画。
参画、創立再建した会社は八十余社にのぼる。
東京商工会議所副会頭
1914年
第一次世界大戦とともにインフレが生じる→寺内内閣「暴利取締令」を発す。
清七は本令は暴政であり国民の思想を悪化させると考え、仲小路農商務大臣、
東京商工会議所会頭・藤山雷太(元外相愛一郎の父)、澁澤栄一に会い、政府に本令の停止を説く。
1827年
日本実業家協会会長
1929年
ニューヨークで元大統領タフト(第27代・イエール大学同窓生)と労働問題について面談。
アームストロング(労働教育の大学の創立者)との面談
「労働第一主義の精神、幸福の基盤は労働にある。労働とは勤勉努力であり、誠心誠意である。
この労働が生活安定と国家の繁栄の源となる」
ノーサンプトンUSAでクーリッジ前大統領(第30代)と会議。
第12回国際労働者会議/ジュネーブに使用者代表として出席。
イタリアでムッソリーニの独裁政治とその経済状態、労使間の実情の調査を行う。
1940年
日華早期和平に心血を注ぎ、宇垣一成陸軍大将と蒋介石(中国の軍人・政治家)を結び、
和平実現のため巨費を投じ国難を救わんとする。
1946年
死去(83歳)
参考飼料(著書)
「歐米遊縦」岩崎清七著 アトリエ社 昭和08年刊
「満鮮雑録」岩崎清七著 秋豊園出版部 昭和11年
「財界楽屋漫談」岩崎清七著 富士書房 昭和14年